2017年6月6日 星期二

石見銀山

石見銀山遺跡の範囲

2007年7月に「石見銀山遺跡とその文化的景観」として、国内では14件目、鉱山遺跡としてはアジア(Asia)で初めての世界遺産に登録されました。

亞洲第一個以產業遺址型態被列入世遺之例

1526年に九州博多の豪商神屋寿禎(かみやじゅてい)によって発見されて以来、1923年の休山まで約400年にわたって採掘されてきた日本を代表する鉱山遺跡です。  大航海時代の16世紀、石見銀山は日本の銀鉱山としてヨーロッパEurope人に唯一知られた存在でした。それは当時ヨーロッパで制作されたアジアや日本の地図に、石見銀山付近を指して「銀鉱山王国」「銀鉱山」と記されていることからも明らかです。  また、石見銀山で生産された銀は高品質で、東アジア交易において最も信用が高く、石見銀山の所在する佐摩村(さまむら)にちなんでソーマ銀と呼ばれ流通しました。 16世紀半ばから17世紀前半の全盛期には、世界の産銀量の約3分の1を占めた日本銀のかなりの部分が石見銀山で産出されたものだったと考えられています。

石見銀山在1526年九州博多商人於海上航行時看見仙之山上的反光而被發現,之後直到1923年為止持續開採將近400年。從戰國前期開始石見銀山也是戰國諸大名爭奪的重點,由大內氏手上奪得銀山的毛利氏運用銀山增強軍備進而成為支配中國地方的霸者。之後德川幕府也覬覦石見銀山而三番兩次要毛利氏交出銀山但都被強硬的拒絕,直到豐臣氏被滅毛利氏被迫減封到只剩下今天的山口縣範圍,銀山才正式成為江戶幕府的手中物。成為獨立於幕府領地之外的「天領」(直屬於幕府的領地)

銀鉱山跡と鉱山町

石室山 ( いしむろさん ) 無量寿院 ( むりょうじゅいん ) 羅漢寺 ( らかんじ )
宝暦年間(一七五一~六三)石見銀山付役人中山庄兵衛賀光と中場五郎左衛門定政は観世音寺の月海浄印に帰依し、浄印の発願による石窟五百羅漢を造営して銀山で亡くなった人々の霊と先祖の霊を供養するため当時の大森代官川崎平右衛門定孝及び代官所役人、銀山御料内の村々、更に八代将軍吉宗の次男、田安中納言宗武の援助をうけて江戸城大奥の女中など多くの人々の寄進により明和三年(一七六六)三月、二五年の歳月をかけて完成した。 完成に先立つ明和元年(一七六四)には石窟の正面に羅漢寺を建立して月海浄印が初代の住職となった。

反り橋(そりばし)石反橋?
福光石を十五枚組み合わせて作られた三基の橋で、石窟の前を流れる銀山川の支流に架かっており当時のまま現在に至っています。
禪宗樣式的窗框及大門

五百羅漢像はすべて福光産(現在の大田市温泉津町福光)の石像で笑っているもの、泣いているもの、説法をしているもの、天空を仰いでいるもの、布袋和尚に似ているもの、太っているもの、痩せているもの、等様々の面相と姿態は石見銀山御料内の福光村石工、坪内平七一門の手によって二十余年間の歳月が費やされて完成したものである。

下河原吹屋跡
銀精鍊遺跡 銀の精錬ー灰吹法(はいふきほう)ー
貴鉛を「灰吹床」で加熱して溶かし、鉛を灰へ染み込ませて、灰の上に銀だけが残るよう分離させる。その後、同様の作業を行い、灰吹銀の純度を上げる。

將銀鉛鎔化後的合金放在鋪滿灰的火爐上 加以高溫以萃取出不易氧化的銀

西本寺
寛永8年創立、初めは天台宗であったが、現在は真宗に改宗されています。門前には「山吹城城門西本寺」と書かれています。山吹城とは要害山山頂にあった城のことです。

山吹城は天文2年(1533)大内義興が大森の銀山を守るために築城されたもので、その後尼子常久の銀山攻略で尼子氏の領有となり、さらに永禄5年(1562)には毛利元就が攻め込んで毛利氏の手に落ちました。
山吹城解体後、四門のうち追手門が龍昌寺の門として改造され、後に西本寺に移転され今日に至っています。

豊栄神社
毛利元就の木像がご神体として祀られていました。

豊栄神社は、慶応3年(1867)までは洞春山・長安寺という曹洞宗の寺でした。洞春とは元就の法号で、元就のことを洞春公とも呼んでいました。永禄4年(1561)に山吹城内に毛利元就が自分の木像を安置し、元亀2年(1571)には長安寺を建立し、木像を移したと伝えられています。
明治2年2月2日に朝廷は、元就に対して豊栄神社の神号を与えたので、長安寺と言う名は明治3年5月の浜田県誕生から豊栄神社と変わりました。
慶応2年(1866)、第2次長州戦争が起こり、毛利氏を藩主とする長州藩の隊士達が石見に侵入し長安寺に毛利元就の木像が神像として祀られていたので驚いたと言います。
幕末時に、大森に駐屯した長州の隊士名が、灯篭や鳥居に刻まれていて、大森に進撃した長州軍の面影をとどめ、激動の幕末の遺跡として興味深い神社です。

龍源寺間歩

石見銀山 大久保間歩 一般公開限定ツア(tour)ー 実施期間
平成29年4月1日~11月30日の金・土・日・祝日・お盆期間(8月14・15・16日)及び平成30年3月の金・土・日・祝日
(12月~2月は大久保間歩の休坑のためツアー休止)

佐毘売山神社
地元では、「山神さん」と呼ばれ親しまれている古社

龍源寺間歩出口から約200mほどのところにあり、境内までは急勾配の石段が待ち構えています。
16世紀中頃に創建された鉱山の守り神で、精錬の神「金山彦命」を祀る神社です。壮大で全国一の規模の山神社で現在の建物は文政2年に再建されたもの。

吉岡出雲の墓

大久保石見守に仕え代官として石見銀山はもとより伊豆、佐渡金銀山の開発にあたり功績を上げた吉岡隼人の墓

清水寺

寺宝の「辻ヶ花染丁字文胴服」は徳川家康から拝領されたもので、国の重要文化財に指定されています。 

鎮寺之寶是十字花染丁香花紋僧服

清水谷製錬所跡



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